
本尊阿彌陀如来、眞宗本派本願寺派始め阿彌陀堂と称す、田中氏の祖小左衛門信仰上より堂宇を建立す、當時本堂二間三尺四面、拝殿六尺九尺、奥の院同断、敷地六百坪、田中氏の所有地にして永続資金貳百両を寄附し、これを以て代々継続し来りしが、明治11年8月本縣へ寺號を出願し、縣令永山盛輝代理白上直方の名を以て許可となり阿彌陀寺と號す。
明治13年5月田中初四郎氏願人となり、用材を田中二四郎氏より、諸費を遠藤龜太郎、高頭仁兵術両氏外有志の寄附に依りて拝殿を改築し、次で信徒総代坂本重明、田中重次郎両氏の提議に依り長岡大工町眞宗徳宗寺住職井上専念師兼任することとなりしを、明治16年7月、大分縣豊後國大野那田中町板垣忠恩といふ僧来りて阿彌陀寺衆徒となり、次で同寺擅徒7名、惣代田中重次郎、江口権四郎、春山留吉、法類正林寺仕職堀川林海等の出願に依り、右板垣恵恩住職の件を永山縣令代理大書記官木梨精一郎の名を以て許可されたり。
深才郷土誌 昭和4年(1929年)9月10日発行

